九州への玄関口、八幡浜市は新川の河口にフェリ-乗り場が在る、
古い魚市場を解体して、新しく拡張改修して新たな魚市場と
「道の駅 八幡浜みなっと」「アゴラマレシェ」「どーや市場」が
町の賑わいを海べりに移していた。
遠くかすんで広がる伊予灘は伊方原発の湾に注ぐ、三崎十三里 と
謳われた佐田岬の基幹に原発は再稼動の火を灯した。
その小さな港町から海岸線を南へ向かうとリアス式海岸が開ける。
普段は穏やかな凪ぎを見せる海原は伊方原発を過ぎると佐島さらに
その沖き合いに大島が姿を現す、その大島の対岸に私の故郷真網代が
時を刻んで静まり返っていた。
急傾斜の段々畑は私達が幼少の頃は芋と麦、中・高と進むほどに蜜柑に
取って代わられて行った、みかん景気の到来である。
先人達の苦労を知らない新世代の誕生は、小さな村落でしかなかった
視野を東京はじめ日本の都会に視線を移していくことになる。
まだ、時代が終戦間際の貧しい頃の農村風景である・・・
芋と麦の農業からみかん畑へ農地を切り替えていく、各山間の畑で石積み
の開発が進んでいた。
西の空 大島の その向こうへ 照り輝いていた太陽が沈んでいく、疲れた
身体を急がせて、背中一杯に汗をかいた父と母は山道を家路に急いでいた。
童謡・唱歌の似合う田舎の風景は、段畑とともに生きて来た村人の誇りだった。
ふるさと
里の秋
赤とんぼ
夕焼け小焼け
コスモスさんから届いた、ドボルザ-ク「新世界より」家路 がその風景と共に
聴こえてきた。
皺だらけの手でキセルタバコの煙を追った父の顔、
自分は後回し、子供達の幸せだけを願った母の顔、
昭和の残像に追憶の彼方に、座敷雛に明日を見出したふるさとが在る。
ドボルザーク 「新世界より」 家路 From the New World – Largo.wmv