町の中心から車で約20分リアス式海岸を南へ下ると
250軒ほどの半農半漁の村が在る、
県道を挟んで両側にみすぼらしい木造家屋が並んでいて
西は宇和海の海が広がって、東の斜面に沿って家屋が
へばり付いて建って居る、
芋と麦、四つ張り網漁業で生計を立てている村は貧しかった。
終戦後間もない日本の田舎、麦わら草履と薄っぺらな着物姿
の子供達が屈託のない生活に我を忘れていた。
敗戦の痛手を直接感じていたのは大人たち、当時の子供達は
アメリカから吹いて来る自由主義という風に嬌声をあげていた。
対岸に微かに見える九州の山並み、国東半島付け根の大分、
別府はアメリカ米兵の駐留で活気を呈していた、
昼は畑に鍬を持ち、夜になると男衆は手漕船に乗って沖に行く、
眼前にそびえる大島はそのような村の生業を黙って眺めていた。
村の上の方に在るB子の家は、その村では恵まれた農家だった、
3人の兄と2人の姉、末っ子の彼女は父親が亡くなっていたが
家族の愛情に包まれて育っていた。
小学一年生、同じ竹組に進学した私AはそんなB子が眩しかった、
まるで山の上のお城からお姫様が舞い降りてきたような錯覚に
陥っていた、 「きれいだな!」
目がくるりとして健康的な肌合いのB子ちゃんは、勉強が出来て
そして可愛かった、男の子供達の憧れの的になるのは早かった。
無口で引っ込み思案のAは、そんな彼女をお山の城のお姫様だと
本当に、そう思ったのである。
その町一番の進学校に進んだ彼女は、卒業後その町のみかん娘に
選ばれた、
関西に就職して故郷を後にしていた先輩に見初められ結婚する、
彼女の姿は故郷から消えた、二人の子供のお母さんになったことを
風の便りで聞いた。
それから数年後・・・彼女の傷心の姿が田舎に在った、
突然の主人との死別、女ひとり手の子育てが始まった、
実家の傍で小さな木造の家を建て、母と子、3人の生活が
始まった。
Aは、故郷へ帰郷した折、海岸沿いの広場から彼女の家を
見上げた、ほのかな明かりが寂しげに灯っていた。
ちょうどその時、広場に止めたカ-ラジオから三橋美智也の
♪ おさげと花と地蔵さんと が流れてきた、
それ以来この歌を聴くと彼女と子供達の膳を囲む姿が浮かんで
くる。
♪ おさげと花と地蔵さんと
指をまるめて のぞいたら
黙ってみんな 泣いていた
・・・・・
おさげと 花と地蔵さんと
私には、もう一人 忘れてはならない人がいる、
二つ違いの亡き兄である、
独身のまま、寂しくこの世から去って行った兄、
気の弱い男だった、常に私を頼った兄だったが
情もろい人だった。
Kazuさんの唄声を聴くと在りし日の兄の面影が
浮かぶ。