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歌謡

君は心の妻だから 恋の痛手

時代が代わると人の心も変わって来る ?
わが青春は昭和の時代、今と違って女性の地位が
まだ低く見られた時代、
男女同権を、声高らかに言えなかった時代である。

そういう意味では現代の女性は恵まれている、
テレビで気色ばんで男性に詰め寄る女傑を見ると
殊更、昭和の世が懐かしくなる。

あの時代が青春でよかった・・・と !
その反面女性の自由は限られて居たのかもしれない。

好きな人を他の女性に取られて悲嘆にくれた乙女が
いた・・・
辛いことにそれが親友だったから尚更身を焦がした、

そそと、涙を隠して耐えていた、
その痛々しい姿をどうすることも出来なかった、
慰めるには若すぎた、掛ける言葉も見つからなかった。

若い恋人が病に倒れて帰らぬ人となった、
残された女性は
その痛手から立ち直るには時間が必要だった。

皮肉なことに、数奇な運命が待っていた、
彼女は痛手から逃れるように既婚の男性と恋に落ちた、
男にとって行きずりの恋だったはずが、深みに嵌って
行くことになる。

もう、別れの苦しみは二度と嫌 !
女の性が、理性を失わせて行くのである。

ひとつの家庭の幸せな団欒が脆くも崩れた、
理性を失った女性が訪ねたのである。

その噂話は故郷を遠く離れた私の耳に届いてきた、
ひとつの家庭が崩壊して、新たな家庭が誕生する、
その良否の判断は、私には出来なかった ?

余りに深い事情が複雑に絡んでいたからである。

悲しみに打ちひしがれて、立ち直るには他の家庭の
犠牲が必要だった、なんと悲しいことではないか ?

狭い田舎町に
女性同士の宿命と云う綾が縦横に絡まって坂道を
転がり落ちた。

恋人の死に、私に縋って泣いた女性と
日々の暮らしの中で会釈を交わした女性だった。

辛い現実に私は声もなかった、
あれから30年が経過して、ふたりの女性の今日を
私は、伺い知る由も無い。

敢えて、触れないようにしてきたのである。

鶴岡雅義と東京ロマンチカの
♪ 君は心の妻だから 
この歌を聴く度に、悲しい昔に引き戻される。

私が耳を傾ける 新 二郎の 唄でお届けしたい。

ふたりの女性の運命が、ハッピ-エンドで有ることを
願いながら・・・ !?

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