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邦画

南部坂雪の別れ  大石悲しや

今年も暮れが押し詰まって来ました、

例年ならテレビで忠臣蔵の番組が花盛りであるが、さて、今年はどうであろうか  

討ち入り直前に赤穂藩国家老の大石内蔵助良雄が三次 浅野家下 屋敷  赤坂  南部坂の瑤泉院のもとに赴くという「南部坂雪の別れ」今までに何度も主従の別れを見て来たがいつ見ても胸につまされる悲しみである。

敵方から密かに差し向けられた女間者に気がついた大石の苦渋の芝居は、忠義ゆえの武士の無念さとともに大衆の胸を打つ。

「降る雪悲し南部坂」 

忠義とは何か、武士のたしなみ、作法の悲しさ 

大石の胸の内、推し量るだけで涙を誘う   

宿敵吉良上野介を討ち取るための赤穂浪士の苦難はさらに、     討ち入り決断の血判状を懐に忍ばせ雪の南部坂を下る大石の胸の内、瑤泉院に語れずお暇する忠臣大石の悲しみの場面である。

映画、浪曲、歌謡曲と語り継がれる名場面、

降る雪悲し南部坂「南部坂雪の別れ」日本人の涙腺を揺さぶる忠臣蔵の一幕である。

主君長矩の墓に対しての辞世の句。               「あら楽や 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」

実際には次が辞世の句と言われる。               「極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人」

 

忠臣蔵   南部坂雪の別れ   里見浩太朗

浪曲     南部坂雪の別れ     真山一郎

 

 

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