ふるさとを後にして幾年月、気の遠くなる歳月を数えていることに
改めて感慨深い。
それは、長年会っていない人がたくさんいたということでもある。
男同士の殺風景な稽古風景、石ころ交じりの神社や寺の境内は
寒風吹き荒び、真冬の稽古はそれはきつかった。
その上、相手の突きや蹴りがモロに水月や金的に入る、その激痛は
経験者でなければ分からない。
もちろん満身創痍は覚悟の上とは云え 稽古はキツイものだった。
そんな時、関東の大学空手で勇猛馳せたAが卒業して帰って来た、
Aの妹婿B、彼もまた関西の大学空手で強豪校の主将を務めた男。
我々は初め仕事を通じて知り合ったが背後の人間関係を知るに及んで
絆は更に強くなった。
小柄なAの型は、メリハリのある素晴らしいものだった、
その上動きがすばやかった、何度足を掬われたことだろう。
面白いことに沖縄伝統流派を引き継ぐBは、常に下駄を履いていた、
寡黙だが統率心のある男で、会話の際に見せる笑顔が爽やかだった。
極真会館芦原英幸氏がやってくる少し前のことである。
ちょうど私の不遇時代と重なりAの家で彼の恋女房の手料理を度々
味わうことになった、
Aとは高校の同級生、出来た恋女房だった、実を言うとAと知り合う
きっかけは、この女房だったのである。
Aには、県内の高校空手では強豪校の主将を務める歳の離れた従弟C
がいた、彼は後年国体に出るほどの実力者に成長する、海の男である。
Aの人柄で彼の周囲には腕自慢たちが集まった、港町の暴れ坊たちが
会釈してAの前を通った。
酒席で彼の口から出る歌があった・・・
♪ 蒙古放浪歌 青春を過ごした東京を懐かしみ、早い帰郷を後悔する
彼の内面が滲み出ていた。
酒は強いようで、しかし直ぐ真っ赤になった。
地元で名の通ったお寺の住職になるDはAの一級下、これも東京の大学
空手部で暴れた男だったが、先輩 先輩とAを引き立てた。
上下の礼節を弁えた、さすが空手部出身者と言うところだった。
その他、沖縄空手の大先輩に教えを受けていた若者達で、我々の回りは
多士済々だった、まだ空手が世間に認知されていない時代の話である。
♪ 蒙古放浪歌
♪ 心猛くも 鬼神ならぬ
人と生まれて 情はあれど
母を見捨てて 波越えて行く
友よ兄等と いつまた逢わん
・・・・・
最後に膝を交えたのは、行きつけの寿司屋だった、
ふたりで交わした酒がこうして永の別れになった。
この歳になって思う・・・
いい男は、本当の日本男子は、Aのような男である。
「Sさん、五十になったら逢おうな !」
好漢 A 、 酒のせいばかりではない目を赤くした男の
魂が訴えていた、それを私は忘れることが出来ない。
何処をさすらうか ! 何処の空の下、 Aよ !?
「逢いたい・・・」
・・・・・
♪ 蒙古放浪歌 鶴田浩二