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歌謡

しゃぼん玉に  勇気を貰って 

しゃぼん玉に  勇気を貰って

通りの激しい道路に面しているその医院は
玄関脇の診察室から一歩奥に入ると処置室その他の
部屋があり、2階部分に個室の病室が並んでいた。

私は東側南端個室に入院していた、
窓の外は医院の中庭、背の高い樹が葉を茂らせていた。

がんセンタ-で直腸がんの手術を行い抗がん剤治療の為
懇意にしているA先生の個人医院に転院して治療を
受けていた。

看護婦 (現在は看護師) は二人、交互に宿直していた、
優しい気配りの出来るとても素晴らしい女性達だった。

ステ-ジ〇 (?) 結構進行状態のがん患者だったため、
覚悟の上での抗がん剤治療に臨んでいた。

夏の8月から9月の季節は、県都の繁華街は活気付いて
人の波に溢れかえっていた。

昼間は時々外出許可を貰ってその繁華街を運動兼ねて散歩
をした、道行く人の表情は様々だったが私とは異質の世界
の表情を見せていた。

手を取り、肩を寄せ合った若者達、物静かに談笑しながら
買い物に連れ添っている夫婦連れ、嬉々としてはしゃいで
いる子供達、それは遠い異国を眺めるような心境だった。

近づいてくる死、別れなければならない今生、その葛藤の
中に死への覚悟と残される家族の行く末を想う私が居た。

喧騒の街は、ひとりボッチの孤独な私を突き放して日々を
重ねていた。

私の人生は何だったのだろうか ?
悪い夫であり、親父だったな、後悔の念は自分の悲しみより
家族への懺悔でチヂに乱れた。

8月も終わりになると医院の庭に雨が降ってくるのが早まった、
しとしと物悲しく降る雨 雨さえも悲しげに泣いているような
気がしてならなかった。

( 雨よ、そぼ降る雨よ、お前だけは 傍にいてくれるのか ?)
寂しさに雨に語りかける男ひとり、看護婦さんがそっと見回り
に来てくれた。

「Sさん、変わりないですか? 何か有れば知らせてください ?」
孤独な空間に佇む・・・人の善意が身に染みる生活を送っていた。

正直 侘びしかった ! 涙も落ちましたね・・・

抗がん剤は副作用もなく私の身体を健康に導いてくれた、
後日がんセンタ-の主治医は「結構強い抗がん剤だったのですよ」 
と教えてくれた。

運不運があるなら、まず良き医師との出逢い、高度な医療技術と
医療体系を備えたがんセンタ-へ入院・手術できたこと。

そして大切なことは、本人の心構え= 死を覚悟して開き直り、自分
自身の心を明るく切り替え、周囲にも接したことである。

忘れてならないのは、そんな私を快く受け入れて気長に見守って
くださったA先生とふたりの看護師さんの存在である。

その後、先生は亡くなられて、優しかった看護師さん達はその
医院を辞められて別の職場に移られたが、その消息は掴めない。

一度お逢いして、あの時、人生の瀬戸際に呻吟して苦悩した
私Sの心からの謝意を申し述べたい。

最後にみなさんにお伝えしたい、
私は、夜寝る前、枕元にカセットテ-プを置いてよく歌を聴きました、
その中でも、長渕 剛の 歌、 特に ♪ しゃぼん玉 が心に響いた、

・・・・・ ・・・・・
♪ 帰りたいけど 帰れない

     もどりたいけど もどれない

       そう考えたら 俺も

         涙が出てきたよ

            ・・・・・ ・・・・・

この歌詞に泣かされ励まされたのである。
歌の背景の楽器の演奏が良薬として私の身体に溶け込んで治療効果
をあげてくれたのだと信じています。

これをきっかけに楽器に目が行くようになったのです、
♪ しゃぼん玉 特にドラム演奏が勇気をくれました、ずんずんと響く
音響は「負けるな、投げるな、頑張れ、立て 立ち上がれ、進め !」

我が家に帰るという力強い意志と、勇気に繋がって行ったのです。

ドラム、ギタ-、トランペット、ピアノ、ベ-ス、サキソフォン、
そして 葉加瀬太郎の♪ ひまわり のバイオリンへと興味は移って
行きました。

音楽は、特に楽器は、私の消えかかった命を蘇らせてくれたのです。

長渕剛 ♪ しゃぼん玉

千夜千曲さん、
 あなたの唄を聴くとあの時の病室から眺めた雨が
  昨日の事のように思い出されます、涙雨、希望にすがった雨でした。

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