それは、まるで小学校の講堂で上映された教育映画のワンシ-ンだった。
戦後間もない田舎の学校へは時々巡回映画が回ってきた、それは全校生徒
だけでなく教師達も待ち望んだ教育の一環であり、娯楽のない子供達にとって
社会への窓、都会への憧れにつながった。
あの時の心のトキメキ、未知なる世界への扉でもあった。
現実に戻ろう、
私は大きな勘違いをしていたことに気が付いた、
「Sちゃんは、小学校2年生の時に九州へ転校したんだったね ?」
数十年ぶり、正確には〇7年振りの再会だったのである、
「いえ、中学2年の時転校しました。」
不覚にも私はこの歳まで彼女は小学2年で転校したものと信じ込んでいたが
それは、もうひとりの同級生Kちゃんのことだったのである。
私は、驚愕の事実に直面する。
私の父方の曾祖母が隣村から嫁いできた、その親族には同級生のK君がいて
小学校の美人教師姉妹がいることは既に姉から聞いて知っていたが、
もう一軒のM性だけは誰だろう何処だろうと分からなかったのである。
男のK君が説明してくれた、
「Yやん、お前とわし そしてSちゃんは親戚なのだ・・・」と断言した。
「ということはM家というのはSちゃんの家だったのか!」 私は驚きと
喜びの交差した気持ちを吐き出した。
「そうなんだ、」 K君は答え、「そうです」 Sちゃんも笑って答えた。
ふたりの間では、当に知っていたのである。
小さな歳に九州へ転校して可哀想にと私はSちゃんを心配していた、
ところが彼女は中学2年まで在学していたのである、
こんな間抜けなことがあろうか ?
多感な子供時代、先輩からの虐めに翻弄されていた私は女学生へ向ける
心の余裕がなかった、内にこもった灰色の中学生活は何もかもが空しかった
のである。
事実は小説よりも奇なり、ふたりとの会話で目の前の霧が一瞬で消えた。
Sちゃんが笑っている、K君が感嘆した・・・
「Yやん、今夜はお前の唄が一番上手い !」僭越だがこれ以上のほめ言葉
はない。
彼女は、見事な子育てをしていた、
長男は我が県の公務員になり、長女は大きな病院で検査技師をしている。
彼女の住む町は私の家から高速自動車道で50分の距離、彼女の近くに私の
盟友が住んでいる。
映画を観た様な感覚に襲われている、
私が探したSちゃんは、私の近くで 私の親戚と言う奇跡をプレゼントして
くれた。
やさしいおばあちゃんになっていた彼女に
心から、ありがとうの感謝の言葉を送りたい。