鶴岡雅義と東京ロマンチカが1969年3月に発売したシングル曲、
ム-ド歌謡を代表するロマンチカならではのヒット曲である。
他の歌手をはじめ歌自慢の素人さんが数多く唄っている歌でもある。
作曲は東京ロマンチカのリ-ダ-鶴岡雅義 作詞はなかにし礼。
この曲は東京ロマンチカにとって ♪小樽のひとよに続いて大ヒット
した50万枚を越える売れ上げ枚数を記録した。
愛しながらも 運命にまけて 別れた男女の想いがひしひしと
伝わってくる、
強く生きるよ 生きてることが ・・・ その日を夢見ている
男をここまで好きにさせる、よほど素晴らしい女性なのだろう、
・・・・・ 君は心の妻だから。
希望が叶えられれば良いがと、全国のロマンチカファンが感泣した。
我が身に置き換えて泣いた女性も多かったのではないだろうか ?
その後 ♪旅路のひとよ では日本レコ-ド大賞 「歌唱賞」受賞、
「北国の町」等と大ヒットが続いてNHK 紅白歌合戦には連続6回の
出場を果たした。
鶴岡雅義は、古賀政男に作曲を学び、阿部保夫にギタ-を学んだ。
昭和40年 ♪二人の世界 で作曲家としてデビュ-、石原裕次郎が
唄って大ヒットした、♪泣かせるぜ ♪逢えるじゃないかまたあした
等がその後に続いた。
私は、義弟の結婚式でこの♪二人の世界を唄った、思い出深い歌である。
リ-ドボ-カルの三條正人 彼の歌唱に負うところが大きい、
法政大学在学中にコ-ラスグル-プを結成、プロ歌手としてはダンス
ホ-ルから活動を始めた。
昭和48年 女優の香山美子と結婚、昭和49年 ♪さだめ でソロ
歌手としてデビュ-、昭和53年 ♪北の都の物語 で東京ロマンチカ
に復帰した。
時々、テレビで彼の歌を聴くと、
我が青春時代を思い出して身を乗り出している。
歳相応の貫禄が出来て、何時までも元気で唄って下さいと声援を送る
私が居る。
作詞家 作曲家 及び歌手は、時代の作り手、人々の年輪に刻まれる
職人であり人生の先導者である。
歌は、人生の灯火 唄は心のヒダに分け入る讃美歌である。
君は心の妻だから ム-ド歌謡最高、別れを余儀なくされた恋人達に
奇跡が現れんことを。