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思い出

不如帰 ああ姉よ

私にとってこの歌は辛い曲です。
(以下 敬称略)

歌詞の一部に「泣いて血を吐く・・・」という詞があり
当時昭和天皇陛下は、危篤と小康状態を往復していたため
時期的にも適切な表現ではないという理由から放送中止に
なった経緯があります。

2年後1990年7月23日、村上幸子は急性リンパ腫の病状が
悪化して31才の若さで亡くなりました。

徳富蘆花の小説「不如帰」
海軍少尉川島武男と浪子の悲しい愛の物語。

私の姉が35歳という若さで二人の子供(兄妹)を残してこの病に
倒れました。

さまざまな辛い思いを内包した自伝的歌謡曲でもあります。

それ故、特に村上幸子の ♪ 不如帰 は、彼女が亡くなってこの方
聴けなかった歌なのです。

故郷の姉を見舞った折、実の弟を認識できないほど認知症が進んだ
姉を見て、若くして同じ病気で亡くなった姉と村上幸子を思い出し、
ここに紹介しょうと思うに至った次第です。

当時の急性リンパ腫という病は、治療法が限られ、本人にとっては
耐え難い痛みの激しい、辛いものでした。

最後の画面で村上幸子が逗子の海岸の砂浜で祈る場面は耐える姉と
オーバーラップして正視することが出来ませんでした。

彼女が元気で生きていれば、正統派歌手として多くのファンを魅了して
紅白歌合戦の常連歌手になって歌謡史を彩ったであろうと惜しまれる。

この不如帰に臨んだ時、彼女は発病していたのだろうか、陛下の病状と
合せて自らの命を覚悟していたのならこの動画に見える彼女の心の内は
余りに哀れである。

姉の人生の終焉に見た姿が哀れで愛しかっただけに胸が引き裂かれる。

自らのがん治療、肉親との別れを経験するがゆえに、命の尊さ、戦争の
不条理を痛感するのである。

人間の浅はかさ、喉下過ぎればの、驕りを知るほどに人間の弱さを思う。
親から貰った命 大切にしたい、生きたくても生きられなかった人がいる、

♪ 不如帰 この歌に私は命の原点を見つめさせられている。

ここに謹んで
村上幸子さんのご冥福をお祈り申し上げます。

近年著名な俳優さん達がこの病を乗り越えて活躍する姿を見るにつけ
感慨深いものがあります。

♪ 不如帰
作詞 星野哲郎
作曲 桜田誠一
    歌  村上幸子

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