あの日に帰って バス・ストップ/平浩二
思い出深い歌である、
港町の市民会館は、地元の催しものとは別に市民のただひとつの
楽しみである歌手のリサイタルや芝居等が定期的に催されていた。
商店街が招致して実際はどうだったか分からないがその筋の関与は
なかったように思う。
市民会館の裏手に市立図書館があり、道路を挟んだその前にスナック
は在った。
奥行きの長いスナック喫茶で、30人も入れば満席になる、小さな
店だった、今で言う居酒屋である。
全盛期の頃は、女の従業員が1人、男の従業員が3~4人ほどで運営
していた、その頃では珍しい形態の店作りだった関係で多くのお客様で
賑わった、繁盛させて頂いたと云うことになる、ただ感謝しかない。
男女の色模様、歓喜から悲嘆までいろんな恋模様、生きるための裏表
いろんなシナリオが展開されていた。
昭和43年12月から昭和55年5月までの昭和が輝いた時代だった、
〇〇原発の創世記、建設の槌音が響き町全体に景気の波が押し寄せていた。
町一番の料理屋がすぐ傍に在って、そこの女将さんに贔屓にしてもらった
関係でその恩恵に浴した店でも在った。
ある時、リサイタルの歌手は誰だったか忘れたが、平浩二のバス・ストップの
作詞 千家和也
作曲 葵まさひこ
の内の 作曲者 葵まさひこ先生が誰かに連れられて来店された。
客で来ていた歌自慢達が春日八郎の ♪ 俺と影法師 のメロディを少し代えて
(編曲とは大げさだが?) カラオケのない時代のギタ-演奏で合唱に及んだ、
座がいっぺんに盛り上り歓喜のどよめきが起こった、記憶に残る出来事だった。
作曲家 葵まさひこ先生に批評して貰ってお客さん全員が感激したことは言う
までもない。
葵先生は、男性コーラス・グループ ハニー・ナイツのリ-ドボ-カル、
リ-ダ-野村忠久に代わって二代目リ-ダ-を勤めたが1974年に解散した。
尚 テレビで流れた ♪ ふりむかないで(ライオン「エメロン」)はこのグル-プの
ヒットCMソングである。
懐かしい昔の思い出を振り返り ♪ バス・ストップ を聴いてみたい。
♪ バス・ストップ 平 浩二