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歌謡

ふるさとの燈台 引き揚げ船は 萩の船

今夜は、私のブログ友達 onecat01さんとバタやん(田端義夫)
ファンの皆様に ♪ ふるさとの燈台をお送りいたします。

町内会長さんとの一献の席で出た思い出話の数々・・・
そして満州から引き揚げてきた時の思い出話になったそうです、
引き揚げ船の名前は、萩の船とのことでした。

♪ 港出る時や 可愛い子が 
   波止場の隅で泣いていた
     船は帆任せ 帆は風まかせ
      復員輸送の萩の船

情もろいonecat01さんのことです、不覚にも涙が溢れ、最後まで
歌えなかったようです。

その歌に正にぴったり バタやん「ふるさとの燈台」
私の亡き兄貴やその友人達が我が家の2階でギタ-を弾きながら
唄った歌、久しぶりにふるさとを思い出して聴いてみたい。

遠くふるさとを離れた異郷の地で、父 母 兄弟を偲んで泣いた
兵隊さんたち、日本の国に居ながら故郷から都会へ出て祖国復興に
頑張った市井の人々、その胸に響く望郷の念は変わる事はない。

「ふるさとの燈台」
 歌手 田端義夫
 作詞 清水みのる
 作曲 長津義司

♪ 真帆片帆 歌をのせて通う
   ふるさとの小島よ 燈台の岬よ
    白砂に 残る思い出の いまも仄かに
     さざなみは さざなみは
      胸をゆするよ

終戦後のモノのない時代、夢抱いて九州から上京した
青雲の士は、苦学しながら大学を卒業した。
戦後の貧しい時代を経て高度経済成長の波にのまれることになる。

その道程を振り返るとき、父 母 との 切ない思い出があった
ことだろう、ひとりの青雲の志を抱いたブログ友達に万感の思いで
応援歌を送る。

健康は自分ひとりのものではない、これまで支えてくれた家族にこそ
捧げるものである。

「友よ、この世にさよならする日はまだ遠い、お前が行くのと俺が
行くのに、そう差異はない、肩を並べてゆっくり歩くとするか。」

♪ ふるさとの燈台 田端義夫 バタやん

バタやん 田端義夫の歌は、昭和世代の応援歌! 庶民の心で唄うふるさと哀歌。
若い頃は気が付かなかったが、歳と共に共鳴する父母を乞うる歌でも有る、 ああ !!

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